Better Than I've Ever Been

日々思ったことと、その他社会について思うことを書きます。その他発達障害について自分が調べている治しかたについて書いていきます。@harada0808

努力する人間になってはいけない 感想

努力する人間になってはいけないの感想を読書メーターで書いたので、それをそのまままとめたいと思います。

 

この著者に興味を持ったら、書物の時間の序文についてと後書きに代えてがとても素晴らしいので読んでみるといいと思います。この人のブログで読めます。ただ書物の時間は手に入りそうにないので残念。

P84日々の仕事や生活それ自体の中に課題を見出す純粋な能力が備わっているからです。 P390年季というのは慣れること、熟練・熟達することの逆だということ これを読んで思ったけれど、音楽についていえば、好きな音楽を、新しい音楽をいろいろと聞いた後にもう一度聞いてみると、同じ曲の中でも今まで聞こえなかった新しい音が聞こえることがある。それはドラムの音だったり低音だったりするけれども、聞き古した曲の中にも新たな発見を見出していけるのが、音楽をきくことの年季ということなのかもしれないと思った。

芦田先生は経験はみな平等というようなことをいうけれども、それはなにか様々な体験を経験すれば人間の深みがますというような意味で経験という言葉がとらえられるのを避けるために言っているのかもしれない。芦田先生のいう年季は熟練や熟達することの逆だと言っていた。それを僕は聞き古した曲のなかにも新しい音が聞こえてくることがあること、聞き古した曲の中に新しい発見を見出せることという風に解釈したけれど、この年季という意味からしても同じ経験の中からでも多くの意味を読みとれるようになりなさいといっているのではないかと思う。

 

芦田先生は講演のなかで、本を読むときにその著者の経歴によって本が良いか悪いか判断するのではなく、その著者の経歴をカッコに入れて本の内容によって本の良し悪しを判断できるようになるようにすることが学校教育であり、教養というものの意味であるといった。 本の内容では新人発掘についてと関わることだと思う。 自分は音楽が好きなので、音楽について考えてみれば、そのアーティストが売れていなくても、有名でなくても、その曲の内容でクラシックを見つけることができるようになるのが、音楽を聞くということの年季なのだと思う。

この本に関して反論があるとすれば本のタイトルにもなっている努力するひとになってはいけないということについてで芦田先生は、本文の中で努力だけではどうにもできないことがあり、目標達成を時間で解決しようとする努力はエゴイズムであって変える、変わると思考することが重要であると言っていた。また、努力の反対語は考えるであるともいっている。僕の見てきた人の中では、仕事のできる人こそよく考えており、クリエイティブな方法で仕事をしている。しかしこの自分、または方法を変えようと考えるということにこそ才能の違いが出るように思う。

これは結局、仕事のできるできないは才能の違いであるということになってしまうと思う。ただ、考えるということが重要であるということに変わりはないが。 この考えるということにこそ才能の差が生まれてしまうということはどうすればいいのかと思う。 自分は仕事をする上で仕事のできる、よく考えて仕事をしている人の真似はできるが、その人達のようにクリエイティブな方法を思いつくことができない。 自分もクリエイティブな方法を考えつくためにはどうしたらよいのだろうかと思う。