Better Than I've Ever Been

日々思ったことと、その他社会について思うことを書きます。その他発達障害について自分が調べている治しかたについて書いていきます。@harada0808

自分にとってそうであることが他人にとってはそうではない。

自分にとってそうであることが他人にとってはそうではないということは多い。例えば音楽の好みであるとか。

それが好みであればいいがもし自分で音楽の優劣をつけなければいけないという時はどうなるだろうか?

音楽の好みは人それぞれと言って逃げるのは簡単だけれどもDJをしている人間にとって、(僕はDJなのです。)音楽を選ぶということはそれが自分の好みであるという以上にその音楽が客観的に良いということが必要になると思う。お客の好みにただ合わせて選曲するということもあるが、それでは単純にDJをすることにお客を盛り上げるということ以上の楽しみがなくなってしまう。

DJがその曲を優れているものだと思ってかける時にその優れているという感性、また、その曲が優れているという保証はどこから来るのだろう。その曲が自分は優れていると思っていても他人は、そうではないということがいくらでもある。その感性、または、保証は経験からくるということはできる。多くの経験をつめば、曲に対する感性がみがかれて良い曲を選ぶことができるというのは、結構納得のいく説明だ。だが、DJに限られたことではないけれども、長年経験したところで、その人の選曲はよくないし優れた曲を選べないということもある。これは経験の方向性が間違っていたのだろうか?または経験の種類が違っていたのだろうか?その経験の方向性、種類が正しくあるようにすることができるというのが才能というのかもしれない。

それが才能であるというとき、その才能を自ら身に付けようとすることはできないのだろうか?経験の方向性の間違いに気づき、違った経験をつむということはできるのだろうか?これはかなり難しいように思う。みづからの感性では良いと思っているのに他人にとっては、そうではないということを無理やり変えていくということは、とても難しいように思う。自分ではそうであるのだから。結局音楽でいえば好みは人それぞれという理由をつけて自分の感性を曲げずにまた同じ、経験をつんでしまうことになるかもしれない。

もし変えられる可能性があるとすればそれは、良い師匠を見つけることが重要に思う。正しい経験をつんだ師匠に一方的に教えてもらうことで正しい経験、方向性、種類のあった経験を積むことができる。

DJを例にしたがDJには選曲ということだけでなく曲の順番MIXの技術ということも問題になってくる。そこにも経験や才能ということは問題になってくるというのはあるのだけれども。

また音楽に優劣はあるのかという問題はあるが、それは私はあると思っている。アマチュアのビートメイカーの曲を聞いたことがあるが、それはひどいものだった。プロが作ったものでも曲には優劣があると思っている。

正しい客観性はどうやって身に付けたら良いのかという話、自らを客観視することはできるが、その客観性の正しさは、どうやって身につければよいのか?

他人から意見をもらえば良いのか?その他人の客観性が正しいという保証は?多くの他人から意見を聞けば良いのか?

統計をとれば良いのか?しかし音楽の優劣という話において必ずしも統計的に結果の良い曲が優れているというわけではないということもある。統計がすべて正しいのであればお笑いの審査はすべて視聴者投票にすれば良い。

師匠についてだが、その分野において優れた実績をあげている人が良い師匠とは限らない。